愛知県豊橋市今橋町付近に戦国時代に築かれた城です。
現在の豊橋の中心市街地は、鎌倉時代より東西を結ぶ街道沿いにあり、豊川・三河湾の舟運の湊でもあったため交通の要衝でした。戦国時代に東三河の拠点として吉田城が築かれ、争乱の舞台になりました。
江戸時代には吉田藩の政庁が置かれ、城下町は東海道の(江戸より)34番目の宿駅(宿場)として、また、伊勢航路の起点・豊川舟運の終点として繁栄しました。
歌川広重の浮世絵『東海道五十三次(保永堂版)』で描かれた吉田宿では、川(現:豊川)とそこに架かる橋(旧:吉田大橋)、その右手前に見える建物が吉田城の建物です。他の浮世絵にも同様に橋と吉田城が登場する事から吉田宿の象徴である事が伺えます。
愛知県豊橋市今橋町にある豊橋公園を中心に吉田城がありました。
吉田城の遺構は豊橋公園内に多く残されています。また、豊橋公園の外部は開発・戦災等の為に遺構はほとんどありませんが、道や地名などからその名残を想像できるところもあります。
吉田城のある地は、江戸時代には「吉田」と呼ばれていましたが、明治維新のころ「吉田」から「豊橋」に改められたため、地名と異なる城名となっています。