久世重之(しげゆき)

在位: 元禄10年(1697)~宝永2年(1705)

 丹波亀山(現京都府亀岡市)から久世重之が入封。

 宝永元年(1705)寺社奉行、翌宝永2年(1706)若年寄に任ぜられた。その為、吉田を領有した期間ほとんどを江戸で過ごし、その間三の丸火の番・増火消(ましびけし:大火が起きた時に臨時に出役するもの)・将軍公家外出の警護・日光参詣名代・内桜田門番などを勤めた。

 元禄15年(1702)には吉田城主として初めて遠江新居関番を命じられ、以後新井の関所は吉田藩の直轄化に置かれることになった。このころ幕府の財政も悪く、久世家でも江戸屋敷を二度も焼失しており吉田藩も困窮に陥っていたと伝えられる。 

 下総関宿(現千葉県野田市)に転封