小笠原忠知(ただとも)

在位: 正保2年(1645)~寛文3年(1663)

 豊後杵築(現大分県杵築市)から小笠原忠知が入封

 書院番、大番頭、奏者番と江戸幕府の重要な役職を任された。

 吉田城主として日光参詣奉行、鳳来寺山東照宮造営などを務め、明暦3年(1657)の江戸の大火「明暦の大火(振袖火災)」に際しては府内の巡視・警備にあたった。

 承応3年(1654)向山池(市内向山町「向山大池」)を築立て、城下の外堀に流入され、灌漑用として使用されたといわれています。