小笠原長矩(ながのり)

在位: 寛文3年(1663)~延宝6年(1678)

 小笠原忠知の嫡男小笠原長矩が相続。

 江戸で生まれ相続と同時に弟、長定に3千石、長秋に2千石を分知し自らは4万石を領した、父忠知同様奏者番となり寛文6年(1678)には寺社奉行を命ぜられ約12年間この要職を務めた。その為ほとんど江戸在府となり吉田に帰ったのは僅か2回のみ。 
 寛文9年(1669)海上航行の安全と吉田湊への標識のため、前芝燈明台を建設。(市内前芝町に現存)