小笠原長重(ながしげ)

在位: 元禄3年(1690)~元禄10年(1697)

 小笠原長祐の弟小笠原長重が相続。

 相続以前から病弱の長祐に代わって参勤し政務を見ていた襲封後まもなく寺社奉行、翌元禄4年(1691)には京都所司代、元禄10年(1697)には老中就任と同時に武蔵岩槻(現埼玉県さいたま市)に転封になった。

 元禄6年(1693)城下町の下水道改修をされたといわれています。

 

 小笠原家四代の吉田領有期間は52年と長く、この時期は江戸幕藩体制の確立安定期であり吉田宿においても著しい発展をした。まず吉田城大手門を新造し、向山池を造って城の外堀(総堀)に水を流入させ、城下に下水道を造り吉田方方面の灌漑用水に利用した。又、吉田城下の町並みもこの時期に完成した。人々は吉田湊から伊勢方面(お伊勢参りに)への航路を頻繁に往来していて、この輸送をめぐる争論も多くみられた。