松平忠利(ただとし)(深溝松平家)

在位: 慶長17年(1612)~寛永9年(1632)

 深溝(現愛知県幸田町)より松平忠利が入封。

 父、松平家忠は伏見城の戦い(関ヶ原の戦いの前哨戦)で石田三成勢に攻められ戦死、又、家忠は城郭の構築・修補が得意で優れた石職人等を抱えていたと記されている。

 明和8年(1622)本丸御殿完成、この時本丸周りの土塁が石垣に直されたと言われているが明らかではない。