松平資訓(すけのり/すけくに)(本庄松平家)

在位: 享保14年(1729)~寛延2年(1749)

 遠江浜松より松平資訓が入封。(本庄松平氏は五代将軍綱吉の生母桂昌院の連枝として大名になった家柄)

 享保の改革で幕府財政は、一応危機を脱し政治は安定するかに見えたが、租税増徴政策は農業を疲弊させ、又、打ち続く災害はこのころ大被害をもたらし、農民のより生活は困窮し藩主に嘆願にまで及んだ。また疫病も流行し、さらに吉田宿では火災も多発した。特に元文元年(1736)の札木町の大火では本陣始め多くの旅宿を焼失した。

 遠江浜松へ転封。

 (京都所司代に就任と同時に前例に従って、遠江浜松で松平信祝の後を継承していた松平信復と交替して再び入封)