牧野成央(なりなか)

在位: 宝永4年(1707)~正徳2年(1712)

 牧野成春の子、牧野成央が相続。(この時9歳)

 成春が吉田城主になった2年後の宝永4年(1707)には、大地震が有り城内および領内に大きな被害をだした。松平忠利時代に建てられた本丸御殿が大破し三の丸に至る櫓、門、石垣、土塀が破壊武家屋敷も過半は潰れ又町家も6割近くが全半壊、無事な家は1戸もないと言う状況だった。

 日向延岡(現宮崎県延岡市)に転封。(14歳)

 

※延岡に移った成央が21歳で没し、その遺領は叔父の貞通が継いだ。貞通は寺社奉行・京都所司代を歴任し延享4年(1747)常陸笠間(現茨城県笠間市)に転封となり、以後は歴代相続して明治維新まで続いた。(そのために地震で倒壊した吉田城の本丸御殿の幕府への被害報告の図がこの藩に残っていた)。