吉田城の城主は牧野古白に始まり、戦国時代には城の争奪により頻繁に変わりましたが、徳川家康の三河統一による酒井忠次の配置後は争奪による交替はなくなりました。
江戸幕府成立後は、吉田城は譜代大名が支配し、9家22人が城主となりました。
(譜代大名:江戸時代の諸大名のうちで,関ヶ原の戦い以前に徳川氏に臣従した大名 )
※歴史については諸説あります。
時期 | 家系 | 城主 | 入封襲封事由など |
永禄8年 (1565) |
酒井氏 (左衛門尉系) |
酒井忠次 (ただつぐ) [城代] |
松平家康(後に「徳川」に改姓)の三河統一により、酒井忠次を吉田城に配置。 詳しく |
天正16年 (1588) |
酒井家次 (いえつぐ) [城代] |
忠次の隠居に伴い家督相続 家康の関東移封と時同じく、下総国臼井に移封 |
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天正18年 (1590) |
池田氏 |
池田照政 (てるまさ) (後に「輝政」に改名) |
岐阜城より入封 播磨姫路に転封 詳しく |
慶長6年 (1601) |
竹谷松平家 |
松平家清 ( いえきよ) |
武蔵八幡山(現埼玉県児玉郡児玉町)から入封。吉田藩が成立。 詳しく |
慶長15年 (1610) |
松平忠清 (ただきよ) |
家清の嫡子、忠清が相続 |
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慶長17年 (1612) |
深溝松平家 |
松平忠利 (ただとし) |
深溝(現愛知県幸田町)より入封 詳しく |
寛永9年 (1632) |
松平忠房 (ただふさ) |
松平忠利の嫡男、忠房が相続 三河刈谷に転封 詳しく |
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寛永9年 (1632) |
水野家 (忠重流) |
水野忠清 (ただきよ) |
三河刈谷から入封 |
寛永19年 (1642) |
水野家 (忠守流) |
水野忠善 (ただよし) |
駿河田中(現静岡県藤枝市)から入封 |
正保2年 (1645) |
小笠原家 |
小笠原忠知 (ただとも) |
豊後杵築(現大分県杵築市)から入封 |
寛文3年 (1663) |
小笠原長矩 (ながのり) |
小笠原忠知の嫡男、長矩が相続 |
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延宝6年 (1678) |
小笠原長祐 (ながすけ) |
小笠原長矩の嫡男、長祐が相続 |
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元禄3年 (1690) |
小笠原長重(ながしげ) |
小笠原長祐の弟、長重が相続 |
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元禄10年 (1697) |
久世家 |
久世重之 (しげゆき) |
丹波亀山(現京都府亀岡市)から入封 |
宝永2年 (1705) |
牧野家 |
牧野成春 (なりはる) |
下総関宿(現千葉県野田市)から入封 |
宝永4年 (1707) |
牧野成央 (なりなか) |
牧野成春の子、成央が相続 |
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正徳2年 (1712) |
大河内松平家 |
松平信祝 (のぶとき) |
下総古河(現茨城県古河市)から入封 |
享保14年 (1729) |
本庄松平家 |
松平資訓 (すけのり/すけくに) |
遠江浜松より入封 |
寛延2年 (1749) |
大河内松平家 |
松平信復 (のぶなお) |
遠江浜松より入封 |
明和5年 (1768) |
松平信礼 (のぶうや/のぶいや) |
信復の子、信礼が相続 |
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明和7年 (1770) |
松平信明 (のぶあきら) |
信礼の子、信明が相続 |
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文化14年 (1817) |
松平信順 (のぶより) |
信明の子、信順が相続 |
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天保13年 (1842) |
松平信宝 (のぶたか) |
信順の子、信宝が家督相続 |
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弘化元年 (1844) |
松平信璋 (のぶあき) |
同族の松平信璋が養子に入り相続 |
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嘉永2年 (1849) |
松平信古 (のぶひさ) (後に「大河内」に復姓) |
越前鯖江藩主 間部詮勝の二男 詮信が養子に入り相続、信古に改名 |