松平信復(のぶなお)(大河内松平家)

在位: 寛延2年(1749)~明和5年(1768)

 遠江浜松より再び大河内松平家の信復が入封。

 宝暦2年(1752)藩校時習館を創設した。これは全国では42番目で尾張と三河国では尾張藩校明倫堂に次ぎ2番目である。後の藩主信明が考証学派の太田錦城を招いて新風を吹き込んだと伝わる。

 明和5年(1768)吉田で没す、この時慕う領民が棺の搬送に参加を希望したことが伝えられている。