松平信礼(のぶうや/のぶいや)(大河内松平家)

在位: 明和5年(1768)~明和7年(1770)

 信復の子松平信礼が相続。

 しかし、健康がすぐれず、紅葉山宮鏡餅役、大手門火防、将軍の東叡山参詣後の警備の公役を各1回務めただけで継承後僅か1年半で藩主として吉田に来ることなく明和7年(1770)江戸で没した。

 この時代吉田江戸藩邸や吉田城内侍屋敷からも出火。火災が続き、領内各所でも火災が絶えなかった。又水害も絶えづ起こって特に宝暦9年(1759)と明和6年(1769)には飢餓状態になり藩から救米金が出された。