池田照政(てるまさ)(池田輝政)

在位: 天正18年(1590)~慶長6年(1601)

 豊臣秀吉が小田原北条征伐し事実上天下統一、この戦の論功行賞にて池田照政が岐阜城より吉田城に15万2千石にて入封。

 直ちに大城郭化に着手。その後10年にて悟眞寺の移転を残してほぼ完成し、直ちに太閤検知も行い、豊川の治水(霞堤)、これまでの土橋に代わり木橋(吉田大橋:湊町付近)も造る。

 文禄3年(1594)太閤秀吉の命により徳川家康の次女督姫(元北条氏直の妻)と婚約成立輿入れ。

 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で池田照政は東軍(徳川方)に付き武功、播磨姫路に転封。

(慶長12年(1607)ころより「照政」から「輝政」と改名)